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商社マン、青年海外協力隊を経て英語教師に!高校でのGrammar in Useとの出逢いが人生を変えた!

2019.05.08

マサチューセッツ州スプリングフィールドシティーで生まれ、幼少期から大学までを京都で過ごし、卒業後に総合商社に勤務した野崎先生。遣り甲斐を見出せず、その後青年海外協力隊でホンジュラス共和国での教育活動を通して子どもの教育に目覚め、教員免許を取得し英語教師に!山梨学院中学校 野崎順先生の波乱万丈な人生ストーリーをご覧ください。
山梨学院中学校教諭 野崎順先生

ケンブリッジ:本日はお時間いただきありがとうございます。まずは簡単に自己紹介と英語学習歴を教えていただけますか?

野崎先生:父親の仕事の関係でアメリカで生まれましたが、1歳になる前に日本に引っ越しましたので特別な英語教育は受けず、英語を正式に学び始めたのは小学校6年の時です。スポーツが大好きでサッカーばっかりやっていましたね。中学の時は数学が得意で英語は体育と数学の次に好きな科目で、卒業時に英語検定3級を取ったレベルです。

ケンブリッジ:英語学習に目覚めたのはいつ頃ですか?

高校は当時男子校だった同志社香里高校に進学しました。そこは英語教育が熱心で、授業では1年次から日本語版ではない英語版のGrammar in Useを使っていて、映画を見てディクテーションを行う授業などカルチャーショックを受けたのを覚えています。これまで使用してきた受験型の日本の問題集に違和感を覚えるようになり、生きた英語を学び生きた英語で会話をしたい、自然な英語表現を使えるようになりたいと思うようになり、結果的に海外に行ってみたいと思うようになりました。

ケンブリッジ:高校時代には海外に行く機会などはありましたか?

高校時代はサッカーに専念していましたが、3年生の時にサッカー部の遠征でイギリスのコベントリーやオックスフォードに行く機会があり初めて本場のイギリス英語に出逢いました。そのときこれまで培った学びや英語表現が活かせたことを実感しました。1週間という短い時間でしたが、この時海外に対する意識が一層高まりました。

ケンブリッジ:ここから海外へと意識が向いたということですね。ではそこからはどのような人生だったのでしょうか?

そうですね。父親も仕事柄、アメリカやインドなど海外に行くことがあり幼少期から刺激を受けていました。母親はボランティア精神の塊みたいな人で(笑)地元の川を掃除する団体の代表を務めたり、寄付のためのバザーを開催したり、昔から人の役に立つ活動をしていたので、両親に感化されたのもきっかけの1つだと思います。自分も途上国支援やボランティアをやってみたいと思い、大学時代はフィリピンで体育館建設の土方作業のボランティアに2週間行ったり、モンゴルに行って国立孤児院の子どもたちと農作業をしたり、日本では大学4年間を通してYMCAの野外活動のボランティアリーダーをやったりしていました。自然と共に素朴な生活を送る途上国で、物が溢れている先進国にはない魅力に取りつかれ、将来は途上国で活躍したいと思うようになりました。

モンゴルの子どもたちと野崎先生

ケンブリッジ:アクティブに色々と活動されたんですね。ではそこからどのようにキャリアを切り開いていったのですか?

国際的に活躍できると夢見て総合商社に入社しましたが、やはり途上国への想いを捨てられずに退職し、青年海外協力隊に申し込みました。派遣先のホンジュラス共和国の首都テグシガルパは当時治安が物凄く悪く、信号機を見るのが稀といったほどインフラも整っておらず、日本との圧倒的な格差を感じました。職務としては現地の女性と子供を支援するNGOに勤務し、DV被害者を守る活動や、子供の生活の充実を図るため麻薬排除活動なども行いました。現地の幼稚園から小・中・高、そして少年院まで訪問し教育プロジェクトを実施したり、ユニセフやアメリカ大使館などの支援を受けてスポーツ大会を開催したり、日本人としてできることに尽力しました。その後帰国し、自分に何ができるのか自問自答した結果、それまでの国際経験を生かし、英語教師になることを志しました。

ホンジュラス共和国の子どもたちと野崎先生

ケンブリッジ:そこからなぜ英語の教師になりたいと思われたのでしょうか?

ホンジュラス共和国での教育活動を通して感じたことは、自分はマンパワー(人力)としてしか貢献することができなかったと感じたことです。教育的な専門性の欠如を認識し、まずは教員免許を取ろうと通信教育課に通いながら塾講師をして生計を立てていました。そこまでして教員になろうとしたのは、同志社大学時代に国際ビジネスコミュニケーションを教わった亀田先生の影響が大きかったです。亀田先生は大学教授としては珍しいくらい熱い先生で、教育の素晴らしさと情熱を持って生きることの大切さを学びました。また、英語の面でも、亀田先生の実践的な教授法は今でも私の授業観の根底にあります。そして、29歳の時、当時住んでいた横浜ではなく敢えて地方でチャレンジしたいという気持ちがあり山梨学院中学校に赴任しました。赴任して4年目のちょうど6年前に、山梨学院の教育カリキュラムを刷新するという流れになり、これまでのオーソドックスな指導から英語授業の4技能化、受験にむけた文法問題集からケンブリッジのGrammar in Useを採用することになりました。職員室もこれまでの閉ざされた空間ではなく既存職員室をラウンジにして廊下にオープンな職員室(教科ステーション)を作り、教科センター方式として大学のように教科ごとに教室を造り替え、全教室にインタラクティブプロジェクターを設置しiPadやデジタル教科書も導入しました。

ケンブリッジ:先進的な動きですね。Grammar in Useを使ってみての感想をお願いします。

そうですね。まず新しい教育をといったときに2020年の入試改革も見据えて本当の英語力、実際に使える自然な英語表現を生徒が自由に使いこなせる環境が必要だと思い、文法指導は高校時代から愛用しているGrammar in Useしかないと思い提案しました。日本人のバイアスがなく国際視点で文法事項を教えてくれるところも推しの一つでしたね。Grammar in Useで培った素地をスピーキングテストや自由英作文、スピーチやプレゼンのコンテストなどに生かし、オーストラリア語学研修旅行の際には現地校の先生方に「自然な英会話ができている」と褒めていただけるなど、様々な形で効果が出始めています。中学3年で英検準1級や2級に合格する生徒も出てきて、昨年度は6割を超える生徒が英語検定準2級以上、2割を超える生徒が2級以上を取得して卒業しました。

ケンブリッジ:すごいですね。英語検定準2級は高校2年終了程度と言われていますので中3の時点で半分以上の生徒がそれを達成しているということですね。それでは最後に先生の目指す理想の生徒像とは?

昨今国際化やグローバル化が急速に進む中で、自ら海外へ行かなくても、多くの外国の方が日本に観光や仕事をしに来るようになりました。今の世代の若者はそのことを肌で感じているように思います。海外旅行に行かなくても、海外留学や海外勤務をする気がなくても、皆が英語を使って生活しなければならない時代、国内にいても国際的に生きなければならない時代に突入しています。そんな時代を生きる生徒たちには、英語力は勿論のこと、外国の方と心を通わせる経験を通して、新しい時代に適応する能力を身につけてもらいたいと思っています。私自身もいずれはまた途上国に行き、今まで培った専門性を活かして世界に貢献していきたいと考えています。

ケンブリッジ:時代に適応していく能力は確かに大切ですね。野崎先生の今後のご活躍にも期待しています。本日はお時間を頂きありがとうございました!

 

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